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耳に聴こえない音の重要性

耳に聴こえない音の重要性

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 近年、耳に聞こえない音が、人間にとって、重要なことが分かって来ました。

 レコードなどの録音でも、実はその聞こえない部分こそが、音楽の臨場感、楽器の音色や空気感、演奏している場の雰囲気などを表現していることが分かったのです。人の耳に聞こえないところまで再生することによって、人間は、「感動」と「安らぎ」を覚えるのです。

 人間が森林で生活していたころから聞こえていた鳥の歌声、小川の流れ、海の波打ち際の音は、人間の耳には聞こえない100キロヘルツ近い音が出て、人間の耳からだけではなく、人間の頬、額、そして身体全体の皮膚で音を聞くことによって、爽快な気分となり、「感動」と「安らぎ」を覚えて来たのでした。

 嫌なことがあっても、大自然の音の中で、洗い流されるというのは、この作用によるところが大きかったのです。自然界と隔離された現在の都会の生活では、嫌な時でも爽快な気分にさせてくれる自然界の音が不足しています。

 このような現代こそ、自然界の音を取り戻すべき時だと言っていいでしょう。

 ところが、音源として主流を占める現在のCDは、実は、自然界で発生している生の音を再現出来ていません。

 技術的に表現すると、現行のCDフォーマットは、「16ビット、リニアPCM」という方式でデジタル記録されています。これは、10数年前としては最先端の技術を駆使して規格化されたものですが、この方式ではどうしても再生周波数帯域とダイナミックレンジが限られてしまいます。

 問題は、PCM方式がアナログからデジタルへの変換の過程で、「人間がほぼ聞きとれるであろう」と思われる範囲のみを切り出して記録していることです。言い換えると、それ以外の音を切り捨ててしまったわけです。

 この、CDが切り捨ててしまった「人間の耳に聞こえない部分」までも再現しようとして、スーパーオーディオCDが製品として出始めています。しかし、それでも問題は解決されず、アナログのレコード盤にさえまだ敵わないというのが実態です。

 産業が高度化するにつれて、人間は、目に見えない、耳に聞こえないものは、無いものとして切り捨て、その結果重要なものを失ってきているのです。

 音の世界でも、100キロヘルツ以上出ている音を、耳に聞こえないからといって、20キロヘルツまでに制限してしまいました。

 これと同様のことが教育界でも行われて来ました。それが偏差値教育です。偏差値が一定以下の子供は、目に見えない多くの他の才能を持っていても評価されず、切り捨てられてしまう。どちらも、効率だけを追い掛けて来た工業化社会の弊害と言えるでしょう。こうした間違った効率主義は見直すべき時がきています。

 東京都知事で作家の石原慎太郎氏が書いた『いま、魂の教育』(光文社刊)は副題が「日本の崩壊を救う唯一の手立て」となっています。そこで氏が説いていることは、「この日本崩壊を救う唯一の手立ては、幼年期から青年期に『魂』の存在を伝える教育を怠らないことだ。心の教育は親以外には出来ない。我が子の教育を他人任せにしていては、親とはいえない。知識や物を越えた世界の存在を、親は身をもって伝えよ」ということです。

 その中で、石原氏は、”樹木の声を聴く「心の耳」を育てよう” と言っています。

 「子供達にも、心の目と耳を澄まし、自然が何を語り、何を歌い、何を求めているかということを、自分の心の口、耳、目で、人間の五官でなぞらえて受け取る、つまり波長を変えることで自然の送る信号を人間のことばとして自分で自分に向けて通訳して受け止める習慣をつけさせ、また人間のことばで語り掛ける子供達の心の声メッセージが必ず自然の側にも波長が変わって受け取られるということを信じさせ、風にそよぐ樹木や、せせらぎの音や、来ては返す波と自由に対話を行わせるべきです。

 それが身について、他人はすこし頭がおかしいのではないかと思うかもしれないがこんなに楽しいことはありません」

 この本には他に、「一枚一枚の草の葉を恋うる心を育てよう」「子供はみな作曲家なのだ」など、デジ速理論で言っている豊かな感性のこともたくさん書かれています。





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