第2章全文
第2章 「音」があなたに奇跡をもたらす驚異の事実
映像より音の方が情報量が多い!?
デジ速について詳しくご紹介する前に、人生において意外に知られていない「音」の重要性について、お話ししましょう。
通常は、視覚(目)のほうが、情報量が多いということで、耳よりも目を重要視する傾向があります。
しかし、実は音のほうが情報量は多いのです。これは、音が、言葉の概念を伝えられるという特性があるからです。
例えば、「世界」という概念を映像で見せるとすれば、多種多様な映像を準備する必要があるでしょう。ところが一度、言葉という音声でその概念をとらえた後であれば、「世界」という一言でその概念をすぐに相手と共有することができます。
言葉の情報の流れは遅いのですが、短い言葉の中に、概念を伝えられるという意味では、映像よりも、もっと情報をもっているとも言えるのではないでしょうか。
「あ」と「い」という2つの音にしかすぎない「愛」の概念には、宇宙に相当するような無限の広がりがあります。その情報たるやすごいものがあると言わざるを得ません。
「百聞は一見に如かず」ということわざがあります。100回聞くよりも、1回見たほうがはるかにいいという意味です。
しかし、これはある意味で情報の「限定」であり、想像力の封止と言えます。
NHKの連続テレビ小説は、同じものを朝と昼の2回放送しています。以前、『ちゅらさん』というドラマが放映されていましたが、そこで私なりにちょっと面白い実験をしてみました。
まず、朝の放送では、音だけで『ちゅらさん』を聞きます。そして、昼の再放送で映像を見ると、音だけで想像していた映像とあまりにも違うので驚かされます。
もちろん、配役は知っていますから、音声はその人たちが話しているように想像するのですが、場面も状況も全く違ったものになってしまうのです。
このように、耳で聞く音だけですと、その音からさまざまな状況や映像を思い浮かべられるのです。ところが、放送される映像は1つだけなので、そこから、新たな発想を生み出すのはかなり難しいと思われます。目で見た場合には、その目で見たことだけが、情報でそれ以上に膨らましようがありません。
正確な情報の伝達という点では、確かに一見に如かずなのですが、人間の能力を育てる想像力の喚起という点から見た場合、聞く行為のほうがはるかに豊かな結果をもたらしてくれます。
身体は音叉の固まりなので良い音で健康になれる
英語のミュージックはギリシャ神話の芸術神「ミューズ」をその語源としていますが、日本語の音楽とはまさしく「音」の楽しみ、と書きます。私自身、最近になって「音」を楽しむことを知りました。
いろいろな音楽を聴いていると音楽のリズムが、体の細胞に入ってきて、運動をあまりしていなかった人でも、細胞がリズミカルな運動をし始めるため、体全体も運動をしたくなってきます。良い音楽を聴くことは、細胞の1つひとつの活性化にもつながり、体も健康になってきます。
これは私自身の体験なのですが、頭を使って考えることが好きだった私は、反対に運動をすることは、体の奥から面倒くささを感じて、あまり好きではありませんでした。体のどこかに動きたくないという根深い意識があるような感じだったのです。
ところが、音に目覚めてさまざまな音楽を聴くようになってからは、体を動かしたくなっている自分に気が付きました。“体を動かすのが嫌だという根深い思い”が、消えてしまっていたのです。
それ以降、音楽を聴けば聴くほど、体を動かしたくて、たまらなくなってしまったのです。
また、音楽を毎日聴き始めてから、数カ月が経ったころ、3日間くらい仕事の関係で聴くことができない期間がありました。すると、なぜか体にエネルギーが不足しているという感じがするのです。
なぜだろうと考えていると、音楽を3日間聴いていないことに気付きました。それで、音楽を聴くということは音から体にエネルギーを受け取るということになることがわかったのです。
こうしたことを合わせ考えてみると、体の中には、外界からの音のエネルギーを受け取る音叉のようなものがあるのではないでしょうか。
中学校で習う音叉の実験を思い出してみてください。音叉を2つ並べておいて、1つの音叉を鳴らすと、音が空中を伝わって離れたところにある音叉に伝わり、他方の音叉も鳴り出します。
音の音叉が、人間の体の至る所にあり、外から良い音の波動を受け取ると、それに相対する音叉がエネルギーを受け取り、身体が振動を始めてくる。そんな感じなのではないでしょうか。
良い音楽を聴くということは、頭から足先までにある体中のいろいろな周波数の音叉が共鳴して、心に感動と安らぎを与えると同時に、体に振動エネルギーを与え、健康な体にもしてくれる作用があります。
人気グループのコンサートなどで、女性が失神することがありますが、これなども、音によって、心の細胞と身体の細胞が共鳴している状態の一例なのではないでしょうか?
1つひとつの細胞が共鳴状態になれば、感動を呼び起こし、人生の目的観も一致して感動の人生へと引っ張ってくれるのです。
損得を抜きにして音に感動するようになると、体の音叉が正常に振動し始めるので、体の健康も呼び起こすようです。私はこれを「音叉健康理論」と呼んでいます。
ショパンの名曲で泣き出した子供
人間性を育むことに対し、音がきわめて重要な役割を果たしていることが、近年さまざまな方面から明らかにされつつあります。
音が人間に及ぼす影響の話で、こんな実例があります。
兵庫の田舎に住んでいた夫婦が、転勤で大阪の伊丹空港の近くに引っ越しました。長男は、田舎で生まれ、田舎で育っていましたが、お母さんは、そのとき次の子を宿していました。
新しい家の外では、飛行機が発着する度に大きな音がして、幼い長男は轟音に怯えて、いつも泣いていたと言います。しかし、お腹の中にいるときから飛行機の音を聞いて生まれてきた次の子は、どんな大きな音がしても泣きませんでした。
人間というものは、環境に適合するようにできているのだと理解して、父親は特に心配していませんでした。ところが、1年後、家族でショパンの名曲を聞く機会があり、その考えが間違っていたことに気付かされるのです。
ショパンの名曲が流れると、長男が感動しているのに比べ、次男は恐ろしい音を聞いたかのように、泣き出したというのです。
お腹の中にいたときから飛行機の機械音を聴き続けた子供は、機械の音が耳に慣れた環境音になっていたため、名曲をかえって騒音だと感じる子供になってしまっていたのでした。
何をおいしいと感じるかという味覚もそうなのですが、音の感性も、このように幼少期に形作られてしまうのです。
人間は、胎児のときから、お母さんの子宮の中で、お父さん、お母さんの話す音、外界から聞こえてくる音を聞いて育ちます。
一定温度に保たれた羊水の中で、変化する刺激は音だけです。目も、鼻も、舌も、皮膚もほとんど感覚のない世界でまだ眠ったままです。五感のうち活動しているのはただ1つ耳、聴覚だけなのです。
音は人間の心に直接響く媒体
こうして見ると、自分を覚醒・再生しようと思うとき、赤ちゃんのときと同じように、音(=聴覚)から自分を考え直していくことは、原理的に正しいと言えるのではないでしょうか。
赤ちゃんがむずかるとき、胎中にいたときに聞こえていた音、すなわち母親の心音を基調とした体内音(胎児音)を聞かせると、おとなしくなるというのは、良く知られた事実です。子供はまるで母親の胎内にいるように安心して落ち着きを取り戻すのです。
そのうえに聞こえてくるのが、愛情あふれる母の声、父の声であるとすれば、それこそが癒しの極みです。
もともと、人間がしゃべっている言葉は、人間という楽器が奏でる音楽なのです。さまざまな音の中で、子供にとっては母親の生の声、父親の生の声が最高の音楽ではないでしょうか。
ギターにはギターの言葉が、ピアノにはピアノの言葉があるように、人間の声帯は自然が与えてくれた最高の楽器だと考えると、自分が発する音にも愛着がわいてきます。そうすると、子供に語るときの話し方も変わってきます。お父さんとお母さんが子供に「愛しているよ」と語り掛けるとき、それは、人間が発する最高の音楽なのです。
このように、音が人間に与える影響は、想像以上のものがあります。
人間は、音だけで至福の世界に入ることができるように創られているようです。
若者たちが、バンドの音に熱狂し涙さえ流す光景が良く見られます。しかし、どんな立派な絵画でも絵を見ながら、それほど多くの人が一度に感動することはありえないでしょう。
音は、人間の心に直接響くものすごい情報量をもつ媒体なのです。
音がなぜそれほどまでに感動を呼び起こすかと言いますと、音の波動が、人間の体に直接ぶつかるからです。
それが、物を見る感動との本質的な違いです。
視覚で見る場合は、光が目を通してただ脳を刺激しているに過ぎません。
ご存じのように、呼吸はただ鼻だけでしているのではなく、体全体の皮膚でもしています。皮膚呼吸ができなかったら、命に影響が出てきます。これと同様に、音波もただ耳のみで聴いているのではなく、体全体で皮膚呼吸のように聴いているのです。
このため、音楽によって、体全体で震えるような感動を覚えるのです。
音に関心をもち、昔の懐かしい音を取り戻して、ボケが直ったという話も数多くあります。
胎児はみんな天才だ
お父さんとお母さんの愛情豊かな暖かい(声の)音を聴かせることが、人の心(脳力)の成長にどれほど効果があるかということを証明するものとして、子宮対話の驚異『胎児はみんな天才だ』(祥伝社)の本を紹介したいと思います。この本は、胎児教育の実践的な入門書としてベストセラーとなっていますので、お読みになった方も多いのではないでしょうか。著者のジツコ・スセディックさんは、4人の子供全員を天才に育て上げた経験を本の「まえがき」でこう書いています。
『私も、元機械工の夫・ジョセフも、IQは120程度です。そんなごく平凡な夫婦の間に生まれた4人の子供が、みなIQ160以上であるという事実は、遺伝の枠を飛び超え、そこに新しい因果関係、つまり胎児の能力を引き出す「胎内教育」の有効性を明らかにしました。
私達は、子供が胎内にいる時から、その知育にふさわしい歌や音楽を聴かせるとともに、アルファベットや数のかぞえ方、生活の道具や動植物などについて話し掛け、教えてきたのです。私達が『子宮対語』と呼んでいるこうした行為によって、実際に4人の子供達は、生後2週間で単語を話し、3カ月目には会話を喋れるという知能の発達を示し、さらに6カ月目でおまるの使い方を習い、9カ月目で歩きはじめるという運動能力の発育をも遂げました。
私達の実践によって、今までの胎児医学が見直され、ベールの向こうにあった『胎児の驚くべき能力』が、しだいに解き明かされつつある現状に、私達一家は大きな期待と喜びを感じています。』
まだ見ることも出来ない胎児との対話によって、天才を育んでいった実話です。この基本となっている方法は「子宮対話」と呼ばれています。対話と言うよりは、愛情豊かな親の(声の)音を利用した語り掛けと言った方がいいかも知れませんが、気持ちの上では親の愛情をベースとした対話なのでしょう。
1年にも満たない胎内での成長期間に、いい音楽や愛情あふれる親の声を聞かせることで、4人の天才が形成されてしまったのです。親の声、すなわち「音」が、人間の可能性をこれほどまでに変えてしまうパワーを持つことが良くお分かりいただけるのではないでしょうか。
この事例1つを取ってみても、愛情のこもった親の声(の音)で脳は育って行くのを確信することが出来るでしょう。
音は心のダイヤモンド
目は疲れたと言いますが、耳が疲れたとは言いません。
どうも耳は、24時間音を聴きたがっているようです。本来、24時間環境音として自然の音を聴くように創られている人間が、現代の生活では24時間聴いている音が騒音であることが多いため、それが悪い結果を生み出しているように思えてなりません。
「心の琴線に触れる」という表現があります。
私の今までの体験から、人間の体はさまざまな音叉からできていて、良い音つまりは、綺麗な音を聴くと、それに周波数が合う体内の音叉が共鳴して、体に感動が呼び起こされるのだと思います。
良い音を今まで聴いてこなかった人(私)にとっては、体内に良い音叉をもっていながら、それが錆びついていて、良い音を聴いても共鳴しないのだと、思われます。
それで、良い音楽を聴いても、感動を味わえなかったのではないでしょうか。ところが今の私は、良い音楽を聴くと体のさまざまな個所が「感動」と「安らぎ」を感じるようになってきました。
つまり、音を楽しめるようになったのです。それは多くの人の心を楽しんでいるのと同じ感覚です。また、音で人と会話することの喜びも再発見しています。
音がこれほどまでもの喜びを与えてくれるものだとは、私自身、考えてもいませんでした。前に勤めていた会社で、日本で2番目のDOS/V機を世に出した経験をもっていますが、そのときのCPUスピードが、25メガヘルツぐらいでした。
メガヘルツ帯を扱っていた者にとって、音の20キロヘルツの周波数は、どうとでもできる周波数としか感じていなかったのです。
しかし、肉耳だけでも35キロヘルツくらいまで聞き分けられ、まるで“人間スペクトルアナライザ”のように、自分の耳で周波数を分析する伊川さんという人に出会い、音の世界の素晴らしさを知るようになりました。
音に対して素晴らしい感性をもち、音をダイヤモンドのように大切にしている姿、本物の音を聴きながら感動し喜々としている姿を見て、音というものがこれほど人を感動させるものだったのか、と初めて知ることができたのです。
そのときに、LPとかつての三菱電機の名器である高音まで良い音の出るDIATONE(ダイヤトーン)の4スピーカで聴かせてもらった音は、澄んでいて高音まで無限に広がっている感じで、本当に美しく聴こえました。
こういう音を毎日聴いて生活する人と、ノイズだけを聴いて生活する人とでは、まるっきり感性の違う人になっていくだろうな、と大きな衝撃を受けたものです。同時に、技術を人間の感性との関係で一度も考えてこなかった自分自身に愕然としてしまいました。
音は、人間の喜怒哀楽、感情(愛)という目に見えない情報を入れ込むことのできる媒体だと考えられます。
ですから、音の情報の中に無限なる愛の情報を込めて語る音声を聴くことによって、人間の心は育っていくものなのです。子供にとって、最高の音声情報は、お父さんとお母さんの声だと思います。それが、子宮対話の奇跡を生んでいるのでしょう。
人間で言えば心にあたる音
先にも述べましたように、これまで私は、テレビでも映像のほうが重要だと思って見ていました。しかし最近は、映像が付録で、音のほうがより重要であると知りました。
その理由は人間の構造を参考にすると、わかりやすくなります。
人間は心と体からできていますが、心は「見せろ」と言われても見せることはできません。愛の深い人でも、その人に本当に愛があるかどうかは、何か行動して愛を示してくれるまで理解するのは難しいでしょう。
それと同じように、音も、どんなに良い音楽CDがあり、音響システムがあっても、音が鳴るまでは、どんな音かわかりません。
映像はその点、体と同じで、触ること見ることで確認することができますが、音は見ることもさわることもできません。それで、
心 → 音楽 (見えず、さわれない)
身体 → 映像 (見たり、さわったりできる)
に対比できるのではないかと思っています。
そうすると、人間にとって、心のほうが主体であり大切なものですから、マルチメディアに当てはめても、映像よりも音のほうが、人間にとって主体的で大切なものである、と言えるのではないでしょうか。
心は、無限の空間である宇宙を行ったり来たり、大きくなったり小さくなったりもできるのに、体は1つ、ということに似ています。「音は心」という考えからすると、音だけを聴いて、無限小、無限大、無限過去、無限未来へと心を行き来させて考えることにより、無限のアイデアが出てくるのだと思います。
そう考えてみますと、豊かな心の成長は、良い音をたくさん聴くことによって育つのではないかと推測ができます。田舎で育った心の豊かな人は、3世代の祖父母、父母、兄弟姉妹の声の音を聴き、そして、近所のたくさんのおばちゃん、おじちゃんや友達の声の音を聴いて成長しているので、豊かな心に育っているのではないでしょうか?
今は核家族となり、幼児の頃、毎日のように聴けるのは、お母さんやお父さんの声なのです。そのお母さんも子供に声を掛けるのが面倒で、ビデオを聴かされながら育った子は、自閉症になる傾向が強く出てしまいます。
赤ちゃんの頃から、多くの人に囲まれながら、声を掛けられて育った子供と、お母さんとTV、ビデオだけで育った子供とでは、感性の違いは明らかだと思います。
しかし、今からでもそういう感性を磨くことはできないでしょうか。感性や言葉など乳幼児期に身についてしまうものをある程度の年齢になってから、変えよう、あるいは身につけようとするのは、かなりの困難をともなうものです。ところが、デジ速を使えば、それを取り戻せる可能性があるのです。
聴力(耳)が心を成長させる
生まれたとき、人間の耳は、すでに完璧なものとして機能しています。脳や手足をふくめ、ほかのあらゆる器官が未熟な状態で誕生する中にあって、耳は唯一と言っていい完成器官としてこの世に出てくるのです。
胎児の耳は、母親の胎内で音を聞くことを覚え、社会的言語を習得する準備をします。
そして誕生後は、まず周囲の新しい音の環境に順応しようとします。
順応できない音、例えば、100デシベルにも達する騒音や夫婦喧嘩の罵声、あるいは脳にダメージを与えるようなテレビの音などから身を守るため、このような不快な攻撃に対抗する方法として、赤ん坊は耳をふさいでしまうという非常手段をとります。
こうした赤ん坊は、言語にもコミュニケーションにも、社会的交流にも耳をふさいでしまい、やがて学校に上がるころになると失語症になるか、自閉症状を示すことになります。
『テレビが幼児をダメにする』(コスモトゥーワン刊)という本の中では、幼児に映像だけ見せていると言葉が遅れてきたり、自閉症になったりする、と書かれています。人間の核になる精神的な部分の何かが育たない、ということでしょう。
耳=聴覚は、文化的な生活を送るために想像以上に重要なものなのです。
音 映像
次元 時間 空間
波の種類 音波 光波
可視 見えない 見える
器官 耳(縦型) 目(横型)
喜びの種類 情的 知的
心の表現 しやすい 難しい
付随感覚器官 体全体(肌)で感ずる 目のみで見る
範囲 前後、左右、上下すべて聴こえる 前面のみ
他者との関係 他者は耳で聴き口で発するという受動的な面、能動的な面の両面をもつ
他者は目で見るのみ(映像を描くときには、目でなく、手を使う)
目的 人との感情の伝達 空間の情報の伝達
人間 心 体
主客 主体 対象
音のほうが、映像よりも主体的である、と言えば、少しおかしな感じがするかもしれません。これまでの観念で言えばおかしいと思うのは無理のないことですが、心の動きというものを中心に考えてみると、音のほうがより主体的なものであることはご理解いただけると思います。
健康を左右する音の重要性
トマティス博士が発見した「トマティス理論」では、聴力検査ができる125ヘルツから8000ヘルツを3つのゾーンに分け、それぞれが人間にどう関係しているかを明らかにしています(以下『絶対モーツアルト法』篠原佳年著、マガジンハウス刊から引用)
「第一ゾーン : 125から800Hz : 低周波領域
この音域は、音楽やダンスでのリズムでのリズム感、スポーツでは体のイメージ・バランス感覚、学習面では時間的空間的概念に関係しています。体では尾てい骨から腹部あたりに対応します。
第二ゾーン : 800から3000Hz : 中周波音域
この音域は、音楽やダンスでは音程やメロディ、感情表現、語学では記憶力、言語における説明力、社会生活におけるコミュニケーションに関係しています。体では腹部から頸部あたりに対応します。
第三ゾーン : 3000Hzから8000Hz : 高周波音域
この音域は、音楽やダンスでは芸術性や積極性、語学では子音の聴き取り、学習面では知力、生活や仕事面では気力に関係しています。体では頸部から頭頂に対応します」
このトマティス理論におけるとても興味深い主張は、音は耳だけに関係したものではなく、メンタル(心)にもフィジカル(肉体)にも、きわめて濃厚に関係しているものだ、ということです。
この考えに基づき、トマティス博士は、心の状態も体の健康も、聴力検査でわかる、と言っています。
それによると、低い音を聴けば足腰が動きやすくなり、高い音を聴けば頭の働きが速くなり、中音を聴けば、呼吸が安定してコミュニケーションに自信が出てくるということになります。
聴力には、空気で伝わる「気導聴力」と、骨で伝わる「骨導聴力」があります。体に関係しているのが骨導聴力です。自分の骨を伝わって聞こえてくる音が、自分の体に無関係なはずはありません。
骨導聴力の検査範囲は250から4000ヘルツまでですが、これで十分に体の状態がわかります。骨導聴力の感度がいい場合は健康が昂進しており、感度が劣っている場合は、健康が停滞しているとみます。
トマティス理論によれば、例えば、2000ヘルツの感度がほかよりも悪くなっていれば、喉の健康を害している可能性があります。
では、気導聴力は何に関係しているかというと、心の衝動、感情的な部分ととらえることができます。
例えば、低音の感度がよい人は、考える前に動く行動派です。中音の感度がよい人は、表情が豊かですが、感情に流されやすいところがあります。そして高音の感度がよい人は、頭脳が明晰で理知的ですが、行動するタイプではありません。
気導聴力と骨導聴力は、どちらも感度がよいことに越したことはありませんが、何事もバランスが大事です。一部、周波数の聴力だけが抜きんでているというよりも、全体のバランスがなだらかなほうが安定している、とトマティス理論ではみるのです。
聴力によって、その人の心の性格、また、健康までわかるというのは、驚きではないでしょうか。
精神の安定をもたらす音の作用
あるユーザーの方が、こんな記事を送ってくださいました。モーツアルトの音楽をかけたら、犯罪が減ったという記事です。
「(米フロリダ州の)ウエストパームビーチ署は今年4月、麻薬密売人が出没する一角にある老朽ビルの屋上にスピーカーを設置。音楽を24時間休みなく流し始めた。15年ほど前から銃撃や強盗、麻薬売買が絶えない地区で、3月に旅行者が射殺されたのがきっかけ。
音楽好きの巡査部長の思いつきを試した。選んだのは、モーツァルトとバッハ、ベートーベン。名曲版CD各1枚と安物のプレーヤーを含めても経費は、500ドルほど。街頭音楽を2カ月半続けたところ、たむろする浮浪者や麻薬取引者の数が目に見えて減った。昨年前半に119件あった事件通報が今年前半は83件に減り、効果は予想以上だった」(2001年7月12日付「朝日新聞」)
これは、デジ速音響空間を、自宅の居間に設けることによって、家庭の雰囲気も大きく変わることを証明しているような記事だと思います。悲しい事件もいろいろと起こっていますが、音響空間の整った居間が、自然にEQを育み、家族の心に予想以上の良い結果を生み出してくれます。
デジ速をやれば、同じ自然を見ても、同じ自然から受け取る情報量が多くなっているのを、実感できるでしょう。
デジ速理論で、音の大切さがわかってくると自然界の音の恵み、夫婦の対話の喜び、親子の対話の楽しさ、そして、友人同士の対話の面白さなど、人と音で話し合えることの幸せを感じ、心が豊かに満たされてくるのです。そのポジティブな心の芽生えをわずかずつでも大切に成長させていくことが大事です。
デジ速では、豊かな感性を磨くと言っていますが、EQにおけるその極地は、親子、夫婦、友人など人との対話も包含した形での自然の生命と対話ができることではないか、と思われます。自然の感性が芽生えた状態で、さまざまな学習に取り組めば、かなりの高速な学習が可能であり、IQの向上も、目を見張るようなものが出てくるのではないかと考えられます。
人を研究することが学問の中で最高の学問であり、人と人が交わることが最高の芸術作品となると言われています。人と自然との交わりの中で、最高の感性を目覚めさせて行きましょう。
心を”音”で表現している漢字
普段何気なく使っている漢字を良く見てみると、心を、『音』で表現しているものがいくつかあります。例えば、友人との会話の中などで、隠し事をしている時に、『お前の本音は、何だよ』という表現を使います。ここでいう『本音』は、正に、お前の心の奥底は何なんだと言っているのではないでしょうか?『音』を『心』と表しております。
また、『菩薩観音様』という言葉も、音を衆生の心と表している言葉です。また、天職の『職』という字も、良く見て頂くと、『音』という字が真ん中に入っており、左側には、『耳』の字が入っております。宇宙の音(声)を耳で良く聴いて天職を見つけるというような意味があるのはないでしょうか?
デジタル速音聴「脳力全開」は、120日間の学習プログラムの中で、速音聴により感性が豊かになるということは自分の天職を自然に感じ始めるというところまで繋がっております。
音が人生を変えた実話
音の持つ可能性を、実感して頂くために、最後に音によって脳が見事に覚醒した私の友人の実話をご紹介したいと思います。
その友人は、高校時代に本は好きで良く読んでいたというのですが、成績は、学年で下から1、2番だったと言います。大学進学を目指していましたが、結局、一浪することとなり、進学塾に通いながら、あまり変わり映えもせず勉強を続けていました。
ところが、8月の夏休みに、友達からソニーのウォークマンを貰って、ライトジャズを聴き始めたというのです。するとどうでしょう? 今まであまり動いていなかった脳が、突然動き始めたのを感じ、次から次へと問題が解け、勉強が出来るようになっていったのです。
8月から3カ月過ぎた11月に全国の模試がありました。その時なんと全国5万人中100番以内に入ったというのです。ほぼ、びりっけつだった人が、わずか3カ月で東大まで含めた全ての国立大学が通るほどになっていたというのですから驚きです。「結局、高校の勉強などというのは、3カ月真剣にやれば学び切ってしまう量しかないと分かり、今まで何をしていたのだろうかと思う程だった」と彼は言います。
また、頭が回転し始めた後は、問題を苦労して解くというよりも、この問題を創った創作者の意図が、自然に分かるようになったそうです。問題を見ると、どういう回答を書かせたくてこの問題を出しているかが直ぐに分かるようになったと言います。いかに難しい大学といえども出題範囲は、決まっています。ひねって出しているだけで、何を求めているかが分かれば簡単に解ける、とその友人は断言しています。
大学時代も友達が不思議がるほど、ジャズの音楽を聴きながら、バンバン勉強したということです。
この友人の例を見ると、音が脳の覚醒に重大な影響を与えることが良く分かります。
【まずは、商品を無償で自らご体験下さい】
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