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失われつつある感動を与える懐かしい音の風景

失われつつある感動を与える懐かしい音の風景

 人類が森林の中で棲んでいた時間は、人類の誕生から現在までを計算して、99・996%になると言います。人間が自然と離れて暮らすようになったのは、ほんの0・004%、近々わずかに数百年のことなのです。

 人間の感性が鈍って来たのは、99・996%森林の中に住んでいたのに、そこから出て来たからです。

 誰しも、人生の基点になるものは、自然との深い交わりであり、それが宇宙の原理というものです。

 天地自然は、人間の”魂の教育者”と言ってもいいでしょう。

 森林の中に棲んでいる時、人間は父母に抱かれているように安らぎを自然に感じるように創られています。

 皆さんも幼いころ、雨が降ると何時間も家の縁側に座って雨が降るのをずっと飽きずに見ていたことはないでしょうか? 高いところにある天から降り注いで来る雨。後から後から降ってくる無限とも見える雨粒が地面に落ちると、最初はたった一粒の水滴から始まり、時間とともに、少しくぼみになっているところに集まり、「水たまり」となっていきます。
その「水たまり」が、雨がやんだ後の子供たちの遊び場のひとつとなります。

 また、庭の柿の木の葉っぱに当たった雨は、天から直接地表に落ちるのではなく、柿の葉がトランポリンのようにうまく雨粒を跳ねて、地表に落とします。その時、葉っぱは見ている人を和ませるかのように、ほどよい揺らぎを起こしながら振動を繰り返すのです。

 雨粒が水たまりに落ちるとき、「ピチャ」という音がします。水たまりがだんだんと大きくなっていくにつれ、その雨音は、「ピチャ」から「ボチャ」へと音程が下がっていきます。その音の高さからある程度の水溜りの大きさも判断がついたものでした。

 夏などは、その水たまりの中に、突然青蛙が現れたりして、「ゲゴ、ゲゴ」と鳴き、一層の風情を醸し出していました。

 このような情感溢れる風景は、なかなか都会の生活では見れなくなっているのではないでしょうか? 土の代わりに、コンクリートとなってしまった地表では、いくら雨が降り注いでも、一向に水たまりも出来ず、感動のないものとなってしまったからです。





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